元知事で政治評論家、タレント、作家、政治家とマルチに活動している東国原英夫さんですが、姓名判断的に言いますとあまり良くない結果と言わざるを得ませんが、そもそも、名前と姓名判断の相関性はよくあって7~8%です。まったく人生と名前が関係がない人間という方も沢山おられます。
ちなみに補足ですが、姓名判断では仕事運・家庭運・天格は相関性が無く、コンテンツ上面白みが出るため、付け加えているだけですので、気にする必要はありません。
東国原英夫さんの姓名判断は大事な四格のうち地格と外格に大凶がついておりますが、タレントや政治家としての活躍を知っている方であれば吉凶は全く関係ほどの活躍ぶりです。
東国原さんは、1980年に「笑ってる場合ですよ」という番組内のお笑いオーディションコーナーに漫才コンビとして出場し、この時、出演していたビートたけしさんの楽屋を訪ね、弟子入りを志願し、1981年の1月から付き人になりました。ちなみにのちに多くなるビートたけしの弟子の第一号が東国原さんのようです。ちなみにデビュー当初の芸名は「東英夫」で、この頃の芸名は「そのまんま東」でした。その後、コンビは解散しましたが、また別の人とコンビを組み、人を変えてコンビ活動を続けておりましたが、1983年にたけし軍団の一員になるのがきっかけでコンビは解消となりました。その後、不祥事により一時期自粛することがあり、その間に推理小説「ビートたけしサツ人事件」を出版し、これがベストセラーとなり、作家としても有名になりました。2006年には故郷である宮崎にて宮崎県知事選挙に無所属で立候補しました。立候補当初は、過去の問題言動や不祥事などのイメージが強かったため、疑問視する人が多かったものの好印象な選挙活動で得票のうち約45%も得ることが出来、見事当選しました。なお、小学校の卒業文春には「政治家とお笑い芸人」という夢を書いており、その両方の夢を叶えることが出来ました。2013年12月に議員を辞職したあとは、報道番組などに評論家やコメンテーターとして出演したり、タレントとしてもバラエティー番組に出演、講演会などにも出演したりとマルチに活躍されています。
ちなみに「東国原」という苗字は全国におよそ40人しかおらず、全面苗字ランキングでは、48,352位とかなり珍しい苗字となっております。恐らく東国原さんが活躍されていなければ、「東国原」という字面を見ても「ひがしこくばる」ではなく、「ひがしくにはら」などと読む方が多かったことでしょう。