葛西 紀明さんの診断結果 - 姓名判断 彩

葛西紀明 さんの名前を彩聖健人先生の弟子・田口鶴馬が詳しく解説します!!
今話題の「葛西紀明」さんの姓名判断は??
スキージャンプとして有名な葛西紀明さんですが、姓名判断的に言いますとあまり良くない結果と言わざるを得ませんが、そもそも、名前と姓名判断の相関性はよくあって7~8%です。まったく人生と名前が関係がない人間という方も沢山おられます。

ちなみに補足ですが、姓名判断では仕事運・家庭運・天格は相関性が無く、コンテンツ上面白みが出るため、付け加えているだけですので、気にする必要はありません。

葛西紀明さんの姓名判断は大事な四格のうち外格に大凶ついており、良くない結果となっているのですが、スキージャンプ選手としての活躍、功績を知っている方であれば吉凶は全く関係ないほどの活躍ぶりです。

北海道で生まれ、10歳の頃にスキージャンプを始めました。才能はすぐに発揮されたようで、雪印杯全日本ジャンプ大会ジュニアの部などで幾度も優勝し、中学3年生の頃には、大会の成年組と同じ助走距離で優勝を果たした東昭広の飛距離を上回ったりと注目を集めました。高校1年生の頃にはスキージャンプ・ワールドカップで史上最年少で出場し、1月にはSTVカップ国際スキージャンプ競技大会にて、国際大会を初優勝しました。更に1989年ノルディックスキー世界選手権に16歳8ヶ月という若さで出場し、日本人男子史上最年少出場の功績を残しました。高校2年生の頃、1989/1990シーズンからワールドカップに本格的に参戦しました。1991年にはV字スタイルへの移行期となり、習得するのに苦労したようですが、これに慣れると徐々に成績が上昇し、ワールドカップラハティ大会にて3位に入賞、翌月のエルンシェルツビク大会では2位、ハラホフで開催されたスキーフライング世界選手権では金メダルを獲得し、ワールドカップ日本人最年少優勝を19歳9か月で果たしました。1993/1994シーズンの国内では、大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコードを大幅に更新したり、スキージャンプ週間では表彰台に2度も立ち、総合で4位となりました。1994/95シーズンの開幕前の11月にに合宿中に転倒してしまい、鎖骨を骨折してしまいました。1月に復帰するものの再び転倒し、同じ個所を痛めてしまいました。しかし、その後あまり成績が振るわなかったが、1997/98シーズンには4シーズンぶりに優勝を果たし、3度も表彰台に上がりました。その後も活躍は続き、現在では51歳という年齢で約40年というキャリアを築き、レジェンドとされている人物になります。

外格に大凶があり、姓名判断の結果としてはあまり良くありませんが、レジェンドとされるほどの活躍は、姓名判断で人生が決まる訳ではないというとてもいい例になっているのではないでしょうか。

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